当たり前の何か

なんて事ない当たり前の何かの有り難みに気がつけたら更新します

あと1時間もせずに長かったような入院生活は終わりを告げる。正確にはあと50分か、これでも秒数まで見ていないから正確とは言えない...今残り49分に変わった。

 

そんな私だが、一向に退院の説明が看護婦によって為されていない。外の風は涼しい。

 

思えば入院生活でさまざまな体験をしたものだ。体験の凝縮といっても過言ではない。凝縮体験だ。そもそもの入院が人生初だし、病院で夜を明かすことも、病院食を食べるのも、見知らぬ人間と寝食を共にするのも、こんなにやることがなかったのも。少し恥ずかしい話をするならば、寝ながら排尿をしたのも初めてだし、迷走神経反射になったのも初めてだ。

 

そんな私だが、ここに来て、退院まで残り46分と言うタイミングで医師がやってきた。今後の話をしたりしたが、そのどれもがどれも既に聞いた話だ。担当看護師は来なかった。もしかしたら外れたのかもしれない。

 

とても虚ろだ。中身があるようで中身のない日常、あるような中身は痛みと孤独しかなかったように思える。

 

担当看護師には本当にお世話になった。本当に辛い時期を乗り越えられたのは彼女の支えがあったからこそだと断言出来る。こんな状態になってしまえば、たまに来る親などよりもよっぽど心の支えになるのだ。多分この文を読まれたら一言「気持ちが悪い」と言われてしまうかもしれないが、そんなものなのだ。私には言葉にしなければ表せない感情があるし、一方でそんなものに頼るのを嫌がる人間もいる。さまざまだ。

 

なんて書いていたらすこし感動してしまったが、特段面白いことが欠けているわけでもない。今回はここで終わりにする。